Bluesやねん!

 
 

Charley Patton (チャーリー・パットン)

  1. 23:34:21
1891年4月ミシシッピ州エドワーズ生まれ。
1907年頃からギターを弾きはじめる。
1929年6月14日初吹きこみをする。
1930年 盟友サン・ハウスとのセッション。
1934年4月28日 ミシシッピ州ホリー・リッジで死去。




チャーリー・パットンの生誕は、1900年の人口調査では ビル(父)とアニー(母)を両親として、1891年4月に生まれた とされているが、彼の姉妹や元妻の証言によると、1881年、もしくは1887年とも言われている。

彼の父親は敬虔なクリスチャンでチャーリーが音楽に興じるのをひどく嫌っていた。
チャーリー自身も改心して教会で説教師として働いたりもしているが、週末になると音楽の魅力に負けて酒場に戻るという暮らしをくり返していたようです。

1900年代初めに、ビルとアニーのパットン夫妻は家族ぐるみでミシシッピー州ハインズからドッケリーに移り住んだ。

アニーの家系にはインディアンの血が流れており、アニーの子供の内一人ないし二人は、奴隷上がりのフィドル奏者 ヘンダースン・チャットマンが父親だったらしい。

ヘンダースンの息子 サム・チャットマンは、後にチャーリー・パットンを片親違いの兄弟と呼んでいる。ビルの父親はヴィクスバーグ出身の白人で、チャーリーの甥のトム・キャノンによると、チャーリー・パットンはローズなるブラック・インディアンと結婚したと言われてる。

多才なチャットマン・ファミリーには、ボ・カーター(ブルース・マン。大量のレコーディングを残している)、ロニー(人気の高いミシシッピー・シークスの一員)、サム(後に、ミシシッピー・フォーク・ブルースの老子的存在になる)らがいたが、チャーリー・パットンの音楽性は、おそらくチャットマン・ファミリーとは全んど無関係に育まれていると思われる。

チャーリーの妹ヴィオラはチャーリーがドッケリーで、ヘンリー・スローンなるミュージシャンからギターの手解きを受けたと証言し、一方 "KING OF THE DELTA BLUES"では、ミシシッピ州クリーヴランドのプランテーションから流れて来たアール・ハリスなるギタリストから手解きを受けたと挙げられている。
後年、メリゴールドの近郊でパットンと同居したオズボーン "ルースター" ハロウェイは、チャーリーは学校で音楽を学んだと証言している。

チャーリー・パットンの女癖の悪さは有名で、彼は デルタを回りながら、各地で女を欲しいままにした。(Guitarを女を殴るのにも使っていたって話もある。)
しかし、それが元で、1929年頃、マウンド・バイユーの近郊で開かれたジュークの最中、嫉妬にかられた男がパットンの喉首をカミソリでかき切った。
チャーリーは一命をとりとめたが、首筋には一生消えない傷跡が残ってしまう。
暮らしを立てるためにも、身の安全を図るためにも、彼は住居を転々としていたらしい。

ある日、ジャクソンのレコード店主兼タレント・スカウトのヘンリー・C・スペアーに送付した手紙がきっかけとなり、チャーリー・パットンは 1929年6月14日、雑多なレパートリーのレコーディングを開始した。

チャーリー・パットンの初期作品は、南部の市場で上場の売上を示したが、レコードが成功の兆しを見せ始めたところで大恐慌が襲ってくる。
程なくパラマウントは下り坂となって売上も一気に落ち込み倒産する。
パラマウント倒産後の1934年初め、チャーリーは3日間のセッションを行っている。
亡くなる僅わずか数ヶ月前である。

チャーリー・パットンは、1934年4月28日に死亡した。
チャーリー死亡証明書にサインしたインディアノーラの D.W.コンプトン医師は、僧帽弁の異常を死因として記している。

1891年にミシシッピで生を授かり、1929年に初吹き込みを行って以来34年に死亡するまで、60曲近くの録音をこの世に残した。

録音された曲を聴くとバラッド、スピリチャル等の曲も多く、Blues が生まれてきた過程を知る上でも貴重な音源やと思います。ダンスパーティー等で演奏し、求められれば何でも弾いたそうやからまぁ納得よね。

当時ソングスターとして確立していて、サン・ハウス、ハウリン・ウルフ、ロバート・ジョンソン等、多くのブルースマンに影響を与えたミュージシャンで、「デルタ・ブルーズの創始者」って訳じゃないと思うけど、そう呼ばれるのに相応しいやろな。

それにしても、Guitar が複雑やね。Delta Blues なんやろなぁ。唄う者のリズムがあって、それに対しての唄と Guitar なんやろな。Guitar 叩こうが弾こうが関係無いしな。Guitar と唄を合わすのが難しいで。

チャーリー・パットンになりきらないと弾いて唄えんと思うでぇ〜。
このエントリーをはてなブックマークに追加
LINEで送る

 
 
 
 

Slide Bar を作ってみる

  1. 23:43:02
Slide Guitar も Country Blues の必修科目やからなぁ。
Fingerpicking もまともに出来んのに、Open Tuning などまだまだ先の話や、
と思いながらやってみたくなるんよね。

取敢えず Slide Bar を支度せないかんな。

内田勘太郎氏みたいにカルピスの瓶で作るのは手間がかかるから、なんぞないかいな?
と調べてみると、重くて厚いSlide Bar が音が伸びると書いとる。

ステンレス製か真鍮製の Slide Bar なら簡単に作れそうやわ。

ってことで、会社に転がってるパイプがあれば小指を突っ込んでサイズを確認。
真鍮製の手頃なパイプを適当な長さに切って切り口を滑らかに磨く。

な・なんて簡単・・・。




家に持って帰って早速 Open Tuning にして弾いてみる。

おぉ〜ええやん!手頃な重さで音の軽さが無いで〜。

パイプ切って磨くだけやから、わざわざ買わんでも良いみたいやね。
長さも好みに出来るし。ただ、真鍮製やから暫く放っておくと、くすんでくるからそん時はこれ。




金属磨きの定番「ピカール」でしょう〜。


このエントリーをはてなブックマークに追加
LINEで送る

 
 
 
 

MC って何喋るん?

  1. 23:28:22


Live で曲と曲の間に話すってやつ。

苦手やなぁ。何を話していいか分らへんわ。
曲の話すんのもなんやし、世間話しする柄じゃないしな。

話上手い奴尊敬しますわ。

「故倉ヤスヒロ」さんっていう 一人旅しながら Delta Blues を弾く人やねんけど、
彼の Live は MCほとんど無し。
1時間弾きっぱなしで、休憩はさんでまた弾きまくるんよね。

レパートリーの多さもさる事ながら、Robert Johnson の曲は全て弾けます
(CD出してます)ってくらいGuitarが上手い。そして味のある唄。素晴らしいです!

これこそ Bluesman やろ!と深く感銘を受けました。

そうなんや、弾けて唄えりゃ変な事喋らんでもええんや!(違うやろ)

今の所、Guitar まともに弾かれへんし、レパートリーも少ないし、
話も面白くないし・・・。(最低やん!)

とりあえず、話術を会得せなあかんな。(アホやろ)


このエントリーをはてなブックマークに追加
LINEで送る

 
 
ホームへ
ホーム
次のページへ
次のページへ

copyright © 2006
Powered By DTIブログ
allrights reserved